第3課 [エネルギー物語]
十八世紀後半に起こった産業革命以来、人類は、石炭や石油などのいわゆる化石燃料をどんどん燃やして文明を発展させてきた。しかし、この天然の資源は無限に存在するわけではない。特に石油は、今後数十年で底を突くと予測されている。何らかの対策を取らねばということで、石油に替わる新たなエネルギー源として登場したのが、原子力であった。
今日我々が、いかにこの原子力と切っても切れない生活を送っているかということは、数字の上からも明らかである。二〇〇四年現在、運転されている原子炉の数は、世界三十か国以上で四百を上回っている。中でもフランスは、総電力の七割を原子力発電に依存せざるを得ない現状にある。日本の場合も、一九六十三年初の発電に成功してからというもの、開発に拍車がかけられ、二〇〇三年現在、約五十の原子炉が運転され、原子力発電の割合は総発電量の三分の一を占めるまでになっている。さらに、今建設計画中のものがすべて完成すれば将来、総発電量の四十%が原子力によって賄われることになり、正になくてはならないエネルギー源である。
しかしながら、一九八六年、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起こった事故が理想の
エネルギー源「原子力」の見直しを迫る契機となった。作業中の職員二人を含め、死亡者三十一人にも上るという史上最悪の爆発事故であった。発電所から漏れた放射能は、周辺諸国の土壌を汚染し、農産物に大きな被害を与え、さらに、その農産物を輸入している国を含め、広い範囲に被害を及ぼした。そればかりか、白血病をはじめとするいわゆる原爆症が、事故現場の周辺はもとより、かなり広い地域で現在でも住民を苦しめている。放射能の被害は恐ろしい限りだ。日本でも、これほど大規模ではないが、原子力発電の是非が問われるような事故が何度も起こっている。
技術開発が進歩するにつれて、原子炉の安全性は確かに増すであろう。しかし、どんなに技術が進歩しようが、また、原子炉の管理がいくら厳重になろうが、事故が起これば、それまでだ。その規模がチェルノブイリを超えるような事故、万一、そんな事故でも起ころうものなら、被害は計り知れない。こうした放射能の危険性を恐れて、既にドイツ、ベルギー、スウェーデンなどでは、段階的に原子炉を破棄し、新しいエネルギー源に切り替える方針を打ち出している。
新しいエネルギー源の開発は、大気汚染、酸性雨、地球の温暖かなどの環境問題を解決す
るためにも欠かせない。世界各国で政府主導の下、様々な研究開発が進められている。生ゴミなどの廃棄物、麦わらなど活用されていない農産資源、そして、いも、大豆などの資源作物を活用したバイオマス燃料の開発などは、地球上の二酸化炭素をこれ以上増やさない燃料開発の代表的な例である。こうした研究開発の成果として、水力、風力、太陽光を利用した発電、また、廃棄物処理の熱を利用した発電など既に一部実用化されているものもあるが、まだまだ十分に需要を満たす状況ではない。
エウテルペ下载新エネルギー源の開発が進められてはいるが、実用化し現在のエネルギー需要に応えられるようになるまでには、まだ相当の時間が必要とされるであろう。こうした状況の下でエネルギー問題を考えるとき、今、何よりも大切なことは、エネルギー消費量の削減努力である。現在の繁栄を維持するために、より便利で豊かな生活を実現するために、エネルギー消費を増やし続け、環境汚染を悪化させるようであってはならない。無駄な電気を消し、エアコンの利用を控える。省エネを進め、少しでもエネルギー消費を減らし、未来のために地球を守ることは、現代に生きる我々が問われている大きな責任なのである。